横川砂和子のページ

中国児童文学

 今を遡ること百年余り前、1910年代の後半の文学革命から、1919年の五四運動期は、中国の児童文学誕生の胎動の時期であった。当時その実現のため激烈な闘いが繰り広げられていた。一つは、子どもの人格を認めない儒教的児童観との闘いであり、もう一つは、当時使用されていた子どもの使うことばとはかけ離れた文語文との闘いであった。魯迅の『狂人日記』の「子どもを救え」という号砲が中国児童文学の幕を開け、周作人の「児童本位」論、鄭振鐸等による児童週刊雑誌『児童世界』、『小朋友』の創刊などが大きな原動力となり、この勃興期に、葉聖陶、張天翼、謝冰心たちの作家が童話創作で呼応し、優れた作品が陸続と生み出されたのである。
 解放後、大半の子ども達が教育を受けられるようになり、新中国らしい児童文学が書かれるようになる。とくに、1955~6年の児童文学創造運動以後、児童文学の書き手は増大し、作品は質量ともに飛躍をみせ、中国児童文学の黄金時代と称される。
しかしその後文化大革命の十年間の動乱中は、徹底的なダメージを受けた。文革が終わり、改革開放路線によって、児童文学の重要性が見直され、一九七八年に盧山で「全国第一回少年児童読物創作出版座談会」が開催され、これが転換点となり発展期を迎えるのである。

新生中国を築いた
中国の児童文学作家に
ついて

「厳文井」

厳文井先生との出会いは、1980年大阪外国語大学の客員教授だった孫鈞政先生からいただいた厳文井の選集『小渓流的歌』だった。「読書は、著者との対話」と言われるが、その作風におけるロマンチシズムとリアリズムの結合に魅了され、日本に紹介したいと思い、翻訳し、自分たちの同人雑誌『世界の子どもたち』に投稿してきた。これが、結実したのが、『中国のアンデルセン 厳文井の世界 ナンナンとヒゲおじさん』の出版だった。幸運にも、厳文井先生とは、来日されたとき、大阪でお会いする機会を得、いっしょに写真を撮っていただいた。
 中国の児童文学に行き着くまでのすべては、中学生のときに扉を開けた中国との邂逅の原点に回帰するための軌跡だったのだと思うと、感慨を覚えます。
 厳文井童話の魅力の源泉は、弱い立場の人に対する「連帯」と「愛」の精神であると言えます。
『四季的風』は厳文井の初期の重要な作品であり、『南風的話』は、文化大革命終結後の作者の重要な作品である。両者は、作者個人におけるばかりでなく、中国の児童文学の発展史上においても、極めて重要な里程標である。
(著作集 第一巻 p.24)

「中国のアンデルセン―厳文井の世界ナンナンとヒゲおじさん」の出版

これほどまでの厳文井の魅力を一人でも多くの人と共有するために、筆者がそれまで翻訳した九編の童話を一冊の本にまとめた。このホームページでは別掲でその一部を紹介します。
(著作集 第一巻 p.42〜)

「洪汛濤」

 洪汛濤先生との出会いは、私が洪汛濤先生の大作、『神筆馬良』と『狼毫筆的来歴』に心酔し、その作家論、作品論を書いたところ、その作品論が洪汛濤先生の目に留まり、選集『狼毫筆的来歴』が編纂される際、序文に使わせてほしいと依頼されたときである。その間、洪汛濤氏とお手紙のやりとりをさせていただいた。選集の序文に私の文章が書かれているのを見たとき、感激で心が躍る一方、お会いする約束が、先生のご病気やご逝去でとうとう叶わず、今でもとても残念でなりません。
 洪汛濤先生は、中国の代表的な児童文学作家であり、また、理論家である。
同氏は、作品中の造形の成功について、人の感情と不可分の関係にあり、また、常識を打破し、発想を転換することによって、強烈な個性を創造する重要性を述べています。
 この理論を氏自身がどのように新作『狼毫筆的来歴』の中に構築したかを検討しました。さらに、同じく「筆」を主人公とした作者の以前の名作『神筆馬良』との比較によって、作者の芸術的深化について分析しました。
(著作集 第一巻 p.92〜)

『狼毫筆的来歴』の翻訳と作家、作品解説への取り組み

 洪汛濤氏の追悼に何かしなければと思い、氏の後期の代表作であるこの作品の翻訳と作品の解説に取り組むことにしました。
 物語は無実の罪で人間に処刑された主人公のイタチがその悲憤を自分の毛に託し、人間に「筆」を作らせたのであるが、その筆は世の中の不条理を正すことができなかったのです。作者はこの悲劇を通じて現実の生活で必ずしも正義が通るとは限らないこの世の中の複雑さと矛盾を読者に提示しようとしました。
(著作集 第一巻 p.112〜)

『神筆馬良伝』について

 この作品は、中国に古くから伝わる伝説を再話したもので、仙人からもらった魔法の筆を武器に、敢然として権力者に立ち向かい、貧しい人々を助ける主人公のマーリャンを描いた短編である。本著作の『神筆馬良伝』は前者を基にして、マーリャンの伝記とし、その活躍と冒険を描いた五十話にも上る長篇童話である。この作品は1946年の構想から、1993年の出版まで、実に四十七年間かかった字数十万字の大作であり、この作品の翻訳を収めています。
(著作集 第一巻 p.152〜)

1980年代の中国児童文学

1980年代前期の中国児童短編小説について

 「四人組」打倒後の中国では、第二の新生の時期を迎え、1978年の「廬山会議」以後、中国児童文学は劇的な発展を遂げ、1950年代中期の「黄金時代」に比して、第二の「黄金時代」と呼ばれる空前の発展期を迎えます。
 その社会背景と作品群を述べ、各年度の代表作五篇、羅辰生の『白脖児』、荘之明の『新星女隊一号』、沈石渓の『第七条猟狗』、劉健屏の『我要我的彫刻刀』、常新港の『独船』について作品論を論文として展開したものです。
(著作集 第一巻 p.162〜)

1980年代前期の中国児童文学の社会背景について

 この論文は、この時代の社会背景を、年順に分け、総合的に分析し、研究した。
 作家層の拡大、作品に於ける傾向の変化、そして国を挙げての児童文学に対する取り組みの結果、出版社数と発行部数は大幅に拡大した状況など細部にわたり記したものです。
(著作集 第一巻 p.190〜)

1980年代後期の中国児童短篇小説について

 つぎは1980年代後期における児童短篇小説を取り上げ、その社会背景と作品群について述べ、各年度の代表作五篇、夏有志の『従山野吹来的風』、陳麗の『遥遥黄河源』、秦文君の『告別裔凡』、棲蘭の『復讐』、謝華の『教室裡的胡蝶』について作品論を展開しています。
(著作集 第一巻 p.198〜)

1980年代前期の中国の童話について

 児童文学のなかでさらに童話を取り上げ、その社会背景と作品群を述べ、各年度の代表作5篇、劉斌の『山的回声』、孫幼軍の『小狗的小房子』、洪濤の『狼豪筆的来歴』、鄭淵潔の『舒克和塔的歴険』、氷波の『窓下的樹皮小屋』について、作品論を展開したものです。
(著作集 第一巻 p.234〜)

1980年代後期の中国の童話について

 本論文は、1980年代後期における童話を取り上げ、その社会背景と作品群について述べ、各年度の代表作五篇、張鉄生の『九十九年煩悩和一年快楽』、兪琦の『無声的警報』、李仁暁の『籠中鳥』、周鋭の『森林手記』、劉興詩の『偷夢的妖精』について作品論を展開しました。
(著作集 第一巻 p.272〜)

子どもたちの形象の変遷

 1980年代に入り1950年代や文革期には見られなかった新しい価値観を持って躍動する多種多彩な形象がこの時期に登場した。年齢、性格、時代背景などの特徴をもとに形象を探った。①英雄像の退場と問題児の出現、②新人類の出現、③抱えた深い孤独、④淡い恋、⑤都市と農村、⑥いじめに呻吟する主人公、⑦大人の世界への旅立ち 等の特徴が見られ、それぞれについて具体的な事例を揚げました。
(著作集 第一巻 p.304〜)

中国の「熱閙(ねつどう)型」童話について

 中国の「熱閙型」童話の勃興は、新時期(文化大革命後の1979年以後を指す)における童話界の新しい現象である。本論文は、この「熱閙型」童話の代表的作家の鄭淵潔の作品『開直升飛機的小老鼠』を例として、その特徴と問題点、及び、その果たした役割と今後の発展の可能性について、分析し研究したものである。
(著作集 第一巻 p.340〜)

『偸夢的妖精』の一考察

 劉興詩のこの作品は、1989年『少年文芸』第八期に発表された後、同年、『児童文学選刊』第六期に転載され、「首届中華児童文学散文獲奨作品」の童話部門の最優秀作に選ばれた秀作である。この作品の分析の視座として「逆転の発想」を掲げ、①作者の経歴、②主人公の妖精のアイデンティティー、③作品の主題、つまり妖精が夢を盗むこととその目的、④妖精の盗んだ夢の活用法等について、それぞれ傑出した点を検証したものです。
(著作集 第一巻 p.348〜)

日本における中国児童文学の受容

 ここで謂う「受容」とは、比較文学研究の一方法を指します。日本の児童文学がどのように中国の児童文学を理解し受け入れ影響を受け、どのように自国の児童文学の発生、成長、発展の力にしてきたか、その交流の歴史を検証する比較文学的試みである。具体的には、日本の児童文学の中にみられる中国的要素を多くの文献から跡づけ、その受け入れ方がどの程度広く且つ深く及んだかについて追究しました。さらに、中国の原典作品から日本の児童文学へとどのように変貌したかについても、社会背景なども視野に入れ、考察しようと考えました。

上代の口誦時代から奈良・平安時代までを中心として

 口誦時代の日本の児童文学は、中国伝来の漢字によって記録された『記紀』『風土記』『万葉集』『日本霊異記』『竹取物語』『今昔物語集』等が挙げられますが、それらの書物の記載がすでに、全部純粋に日本のものではなく、中国の影響が頗る大きいことを明示しました。日本固有の伝説と思われていた浦島伝説と羽衣伝説にも中国の影響が予想以上に広く深かったこと、日本児童文学の基礎を培ったのが中国の児童文学であることを明らかにすることができました。
(著作集 第二巻 p.6〜)

鎌倉時代の説話文学を中心として

 この時代は中国の三国、晋、隋との交渉、つまり漢字文明の渡来の時代である。僧侶や学者等によって説話集が陸続と出されました。本論では、その中から、『蒙求和歌』『宇治拾遺物語』『十訓抄』『唐鏡』に焦点を当てて中国の受容の跡をたどります。
(著作集 第二巻 p.38〜)

鎌倉時代の仏教説話と中国

 宋との往来によって、仏教説話が中国の説話に材料を求め、盛んに翻訳・翻案され、日本の仏教界にも取り入れられるようになる。当時活躍した道元禅師の『正法眼蔵』から抜粋してまとめた『修証義』が採用した、中国の李翰の著した『蒙求』の説話、《楊宝黄雀》と《孔愉放亀》の二編を例に挙げて、その影響関係について検討しました。
(著作集 第二巻 p.62〜)

『御伽草子』を中心として

 室町時代から江戸時代初期にかけてつくられた短編の絵入りの物語草子の『御伽草子』の中から、①孝子物語②楊貴妃関連の物語③異類物語④恋愛物語⑤武勇物語⑥本地物語における中国の影響の事績について検討し、中国の孝徳思想、仏教思想、神仙思想を受容していることを確認する論文です。
(著作集 第二巻 p.66〜)

『御伽草子』における中国児童文学の受容―

『孝子物語』を中心として

 御伽草子の中で、中国の受容からみると最も深いと思われる『孝子物語』に焦点をあて、『七草草子』『蛤の草子』『常盤嫗物語』『養老の縁起』『二十四孝』等八篇を挙げて記述。そして、第二章では、日本の孝子物語と中国の『二十四孝』の影響関係を検討分析しました。
(著作集 第二巻 p.100〜)

『仮名草子』の小説を中心として

 この論文は『仮名草子』の各作品における中国児童文学の受容を明らかにするために、小説『棠陰比事物語』『伽婢子』『狗張子』の根幹、或いは各部分における中国の影響の諸相について分析したものである。その際、日本の作者たちに、いかなる動機、目的で、且つ、いかなる経緯で受容され、作物となっていったかという問題についても検討を加えたものです。
(著作集 第二巻 p.118〜)

『仮名草子』の説話を中心として

 さらに、『仮名草子』の①比事説話、②怪異説話、③孝子説話、④故事説話、⑤笑話説話、それぞれの項目に属する作品の根幹、或いは各部分における中国の受容の諸相について分析を進めてみました。
(著作集 第二巻 p.152〜)