四季の風
四季的风
四季の風
(四季的风)
むかしむかし、一人のかわいそうな子どもがいました。その子がまだ小さいころ、お父さんとお母さんが、なくなりました。その子はいつも、さびしく、一人きりで、荒野のあばらやに住んでいました。遊ぶ人もなく、話をする人もありません。でもたった一人、仲良しのふしぎな友だちがいました。それは風でした。風は、その子が大好きで、どんな時でも、このあばらやを通りかかると、いつでもそっと入っていって、二言、三言、話をしたり、遊んでやったり、食べ物をすこしとどけたりしました。・・・
春になって、その子は、病気になってしまいました。小さな木のベッドに、十日あまりも、寝たままで起き上がれませんでした。ある日、風がやって来て、その子が病気だと知ると、風はベッドのへりに座って、そばにつきそい、やさしく話をしてやりながら、そっと、その子の髪をなでました。・・・
かわいそうな子を助ける四季の風のやさしさを描いた短編童話。続きは著作集 第三巻6ページをご覧ください。
ぶちの雄鶏くん
小花公鸡
ぶちの雄鶏くん
(小花公鸡)
大変ないたずらっ子のぶちの雄鶏くんは、お父さんの机のひきだしをひっくりかえしたり、小さ妹を泣かせてばかりいました。学校へ上がる年になったので、お母さんは、ぶちの雄鶏くんを、小学校へやることにしました。・・・
学校に入っても、今までどおりわんぱくで、きかんぼうでした。授業のとき、鉛筆でらくがきをしているか、両足で机の下をけるというぐあいで、いつだって、先生の話をよくきいてはいませんでした。先生がしかっても平気な顔で、いつも舌を出すだけでした。あるとき、先生は子どもたちに、「果物」とはどんなものかを説明しました。
「果物は、とってもおいしい食べ物です。たくさんの果物は、まっかな色で、甘くて、すっぱくて、食べると体にとてもいいのです。そんな果物は、野外にたくさんあります……」
ぶちの雄鶏くんは、先生の話を聞くと、とても喜びました。果物はどんな味か、食べてみることばかり考えて、先生が話しおわらないうちに、こっそり教室をぬけ出しました。・・・
野原へやって来ました。思った通り、まっかな果物を、幾つか、みつけました。かいどうの実や、やまちょうじの実、さんざし、桑の実などの、とってもたくさんの果物を、一つ、また、一つと食べました。・・・
「ああ、なんて、すばらしい。ぼくは何もかも、勉強してわかったんだ。ぼくは、果物が、どんなものかがわかった。果物は、まっかなもの。まっかなものは、果物なんだ。」
こんないたずらっこのぶちの雄鶏くんはその後、痛い目にあいました。続きは著作集 第三巻18ページをご覧ください。
ナンナンと
ひげおじさん
南南和胡子伯伯
ナンナンとひげおじさん
(南南和胡子伯伯)
ヒゲおじさんは、ふしぎな、とてもいい人で、かなり年をとっていました。そして、とても子ども好きで、ヒゲおじさんに会ったことのある子どもは、誰でもしあわせな気持ちになります。
ナンナンという男の子は、
「そうさ。ヒゲおじさんは本当にいい人だよ。ぼく大好きさ。」
と答え、それだけでは足りずに、もっと先をつづけて、・・・
「もう一ぺん、ヒゲおじさんに会いたいなあ。あの晩、ぼく、遊びつかれて知らないうちに眠ってしまったんだ。おじさんはぼくをベッドに運んでから、そのまま帰ってしまったから、こんどいつ来てくれるか聞くのを忘れてしまったんだ。もう一度ぼくと遊んでくれないかなあ。一緒に遊んでくれたあの晩、すごく楽しかったんだもの。」
一体、どんなふうに楽しかったのでしょうか。ここで、ナンナンがヒゲおじさんに会った夜のことを聞かせてもらおうではありませんか。その話を聞けば、ヒゲおじさんと一緒に遊んでどんなに楽しかったのか、どんなにおもしろかったのかが、みなさんにもわかるでしょう。・・・
ナンナンはよく眠っていたのに、ふいに、パッと目がさめました。何か、ふしぎなことが起こったような気がして目をまるくして見ると、いつもとは、何となくちがった感じなのです。ベッドのそばの窓は、お母さんがちゃんとしめたものが、今、急に大きくひらかれて、窓の外に、月が見えました。月もいつもとは何となくちがうのです。月はとても小さく、暗く見えます。まるで、転がして遊ぶ小さな木のボールが空にひっかかっているようです。・・・
そのとき、窓の外から、銀ネズミ色のガが一ぴき、中に飛びこんできました。・・・ガは腰をかがめて、ナンナンのベッドの前に立ち、何かさがしものをしているようにあたりを見まわしていましたが、やがて、いきをきらして、
「おや、おや、時計はどこだ。なぜ時計がみつからないんだろう。」
と言いました。
ナンナンは、これまでガがしゃべるのを聞いたことはありません。でも、物語の本を読むと、本の中では、どんな動物やものでも、みなしゃべることができるので、ガがしゃべるのを聞いても、ナンナンはべつにふしぎだとは思いませんでした。
ガはへやの中をしばらく歩きまわると、やがてためいきをついて言いました。
「あーあ、いやなこった。いま何時だか全然わからない。」
ナンナンはガがイライラしているのを見ると、ガに向かって、
「いま十四時すぎだよ。」
と口走りましたが、なぜ、いま十四時すぎなのか自分でもわかっていなかったのに、ふしぎなことに、ナンナンは自分がそう言うのを聞きました。(それでは、ナンナンが言ったことは、でたらめだったのでしょうか。)
ガはナンナンの答えを聞くと、あわててとび上がりながらこう言いました。
「なんだって、遅れてしまう。早くしばいを見に行かないと。」・・・
さあ、この後物語はどんな展開がまっているでしょう?夢と現実の入り交じったアドベンチャーは著作集 第三巻24ページをご覧ください。
ミミズと
ミツバチの物語
蚯蚓和蜜蜂的故事
ミミズとミツバチの物語
(蚯蚓和蜜蜂的故事)
むかしむかし、ミミズとミツバチは親友でした。ミミズの姿形は、ミツバチとあまり変わりませんでした。
そのころは、ミミズは今のように太陽をこわがらず、昼間も土の中にかくれることはありませんでした。
今は、ミミズは朝から晩まで一日中、ものも言いませんが、そのころは歌を歌うのが上手でした。ミミズの体は、太っちょで大きく、頭でっかちで、短い足が何本もありました。もしも今、私たちがそのようなミミズの姿を見たなら、誰もそれがミミズだとは思わないでしょう。
ミツバチもまた、今の姿形とはちがっていました。そのころ、ミツバチは、まだミツを作ることも、スを作ることも、飛ぶこともできませんでした。それはまだ羽根がなかったからです。ミツバチの体はミミズよりも少し小さく、足が六本ありましたが、とても短くて、今ほど器用でもなく、すばしこくもありませんでした。もしも今、誰かがそのような虫を見たなら、それがミツバチだとはきっと思わないでしょう。
ミミズにまだ足があり、ミツバチにまだ羽根がなかったころ、大地にはおいしい食べ物がいっぱいありました。やまもも、のぶどう、その他にも名前も知らない赤や紫のたくさんの果実や、甘くやわらかな草の葉や花びらなどたくさんあったので、ミミズとミツバチはあまり苦労しなくても、口をちょっと動かすだけでたらふく食べることができました。
おなかがいっぱいになると、ミミズとミツバチは一緒に遊びました。現在はおたがいが会うことは全然ありません。まして今、ミミズとミツバチが一緒に遊んでいるところなど、誰が見ることができるでしょうか。
一方は空を飛び、もう一方は地面の下にもぐっているので、もともと出会うはずなどないのです。ミミズとミツバチの姿が以前とすっかり変わってしまったのは、一体どういうわけなのでしょう。これからその物語の一部始終をお話ししましょう。
ずっとずっと昔は、大地にはおいしい食べ物がたくさんありました。しかし、誰もかれもがみな食べるばかりで、植えることを考えませんでした。毎日みんなが食べたので、大地の食べ物がだんだんと減り、時がたつにつれてますます少なくなり、食べものをさがすのに骨が折れるようになりました。
よい時代は過ぎ去り、苦しい時代がやって来ました。ミミズとミツバチは、時には食べものが見つからず、おなかをすかせていました。・・・
さあ、ミミズとミツバチはこのあとどうなるのでしょうか?
続きは、著作集 第三巻58ページをご覧ください。
三びきの
うぬぼれやの子ネコ
三只骄傲的小猫
三びきのうぬぼれやの子ネコ
(三只骄傲的小猫)
お母さんネコには、三つ子がいました。一番上は女の子で、ホア(花)ちゃん、二番目は男の子で、ホアン(黄)くん、三番目も男の子で、ヘイ(黒)くんという名前でした。・・・お母さんネコは、細やかに子ネコたちの世話をし、毎日まもりそだてていました。子ネコたちが学校に上がる年になったので、学校へやることにしました。
お母さんネコは、子ネコたちが学校でどんな勉強をしたのか知りたくて、ある日、朝ごはんを食べたあと、子ネコたちとおしゃべりして、こう聞きました。
「おまえたち、この一年しっかり勉強しましたか。」
おなかいっぱいごはんを食べた子ネコたちは、目を細くして、自信たっぷりに、口をそろえて、
「そりゃもちろんさ。いっしょうけんめい勉強したよ。」
と答えました。
ホアンくんは、誰よりもおしゃべり好きなので、さらにつづけて、
「いろいろ勉強したから、何でもわかるようになったよ。」
と言いました。
「そうなのよ。私たちは、学問をしたのよ。」
と、ホアちゃんがつづけました。
「ぼくたちの学問はすごいんだ。」
と、ヘイくんが自慢げに言いました。
お母さんネコは、みんなの話を聞くと、大変喜びましたが、信じられないところも少しあったので、子ネコたちをちょっとテストしてみようと思い、こう聞きました。
「学問をしたのなら、みんなは、将来、何をしたいの。」
「そんなこと考えてもみなかったわ。」
と、ホアちゃんが答えました。
「何になってもいいけど、ぼくは立派な大人になりたいんだ。」
お母さんネコは、はたらくことが好きでした。しかし、三びきの子ネコの中で、誰一人として、お母さんネコの気にいる答えをしなかったので、こんどは、
「先生は、おまえたちに、はたらくことを教えましたか。」
とたずねました。
「はたらく」ことについて、先生は説明したのですが、本当のことをいうと、三びきはその授業のときにまじめに聞いていませんでした。三びきの子ネコは、平気な顔で、すぐ、お母さんにこう答えました。
ホアンくんが、また、ほかの人より先に、
「もちろん、教えてくれたから、ぼく、かなだって書けるよ。は・た・ら・く。ほらね。」
と言いました。
「そんなこと何でもないさ。ぼく、漢字でだって書ける。」
と、ヘイくんが言いました。
「私だって書けるわ。」
と、ホアちゃんが言いました。
お母さんネコは、このような答えを聞くと、ちょっと変だと思いました。三びきの子ネコたちは、えらそうなことを言うだけで、どうも「はたらく」という言葉の意味がわかっていないようなのです。お母さんは何だか心配になって、
「はたらくことには、どのようなよい点があるか、誰か答えられますか。かなや漢字が書けるだけではだめなのですよ。」
と言いました。
ここで、お母さんネコにはっきりわかったことは、何と、子ネコたちはまじめに授業をうけていなかったということでした。子ネコたちの頭の中には、ろくでもない考えがつまっているようです。お母さんネコは、この夏休みには、子ネコたちに、何とかして勉強をちゃんとやり直させて、もっとしっかりした勉強を身につけさせなければならないと考えました。とりあえず、この「はたらく」ことを復習させることにして、
「おまえたちは、みんな、魚を食べるのが好きでしょう。」
と聞きました。・・・
さて、お母さんネコは、子ネコたちにどんな課題をあたえたのでしょうか?続きは著作集 第三巻70ページをご覧ください。
赤いクチバシの
カラスと子ジカ
红嘴鸦和小鹿
赤いクチバシのカラスと子ジカ
(红嘴鸦和小鹿)
いつのころからか、百獣の王のライオンの後ろに、カラスがつきまとって、飛ぶようになりました。・・・
ライオンは、たくさんの動物たちを、自分の言うとおりにさせることができましたが、空を飛べるしんぼうづよいこのカラスは、どうすることもできませんでした。追いはらうこともできず、しかたなく、ついて来させるしかありません。やがて、ライオンはカラスに慣れると、もう、カラスに向かって、吠えることもやめてしまったばかりか、驚いたことに、カラスを自分の背中に止まらせて、シラミを取らせたりしました。
ライオンのこのような、思いやりに恩返しをするため、カラスは、ライオンをたたえる「たけだけしさ」や、「力強さ」や「たたかい」などの歌を作って、歌いました。・・・
ところが、この歌が、はるか遠くにかくれているおとなしい動物たちを感動させようとは、思いもよりませんでした。かれらはみな、この歌を聞くと、涙が出そうになりました。かれらは、たくさんの苦しみと悲しみを感じていたので、うさ晴らしの機会をさがしていたのです。カラスの歌は、遠くで聞くので、文句がはっきり聞きとれませんでした。それなのにカラスの歌声は、むしろ、深い味わいがあるように、感じられたのです。・・・
中でも、特に感動したのは、一頭の子ジカでした。子ジカはカラスを尊敬していて、何とか、カラスに、一目会いたいと思っていました。しかし、子ジカは、ライオンが恐かったので、どうしても、会いに行くことはできませんでした。子ジカは心が晴れないままに、カラスに会いたい気持ちは、日一日とつのっていきました。・・・
ひまわりと石
向日葵和石头
ひまわりと石
(向日葵和石头)
それは、古めかしい石でした。その石は、静けさをこの上なく大切に思っていたので、その行ないはとてももの静かでした。長い年月、この世の中がどのように変わろうと、石は落ち着きはらって、絶対動揺しないという態度を守ってきました。もちろん石は、自分にはしっかりした考えもあり、学問もあると思っていたので、本を書いて自分の考えを発表するつもりでした。石の考えの中には、れっきとした哲学があったのです。・・・ふいに、一つぶのタネが、石の許しも得ないで、大きな顔で石の世界にふみこんで来ました、しかも、そのままいすわって、出て行こうとしません。
これは石を大いに怒らせました。タネの存在は、石の安らぎを乱しただけでなく、一番、ぐあいの悪かったのは、石の哲学体系をくずしてしまったことです。・・・若いタネの奔放さと落ち着き払っていた石が今までに無い感情の高まりで争う姿を描いた奥深い童話です。
詳しくは、著作集 第三巻100ページをご覧ください。
こんどは出港しよう
下次开船港
こんどは出港しよう
(下次开船港)
この物語は、「こんどは出港しよう」という題名です。そういうわけで、ここでその港について説明しなければなりません。その港はなぜそのような名前なのか、なぜどの船も「こんど」出港するのか。またそれは一体どういうわけなのか、もし船という船が「こんど」出港するならば、それは良いことだろうか、それとも良くないことだろうか、船がもし「こんど」でなく、もっと早く出港したら、一体どうなるのかなど、みなさんはふしぎに思われるでしょう。
でも、先を急がないで聞いてほしいのです。この物語は、最初にタン・シャオシという名前の男の子のことからお話しなければなりません。・・・
南風は物語る
南风的话
南風は物語る
(南风的话)
ぼくは、むかし、ある物語の中で、タン・シャオシ(唐小西)という名前の、元気いっぱいの男の子を紹介したことがあった。その子は、とても幻想好きで、その子に言わせれば、物は何でも人と同じように話ができるということだった。
そして、物にはみな、それぞれの言葉と話し方があって、それは、人とは少しちがうらしい。でも、シャオシが、熱心に聞き、いっしょうけんめい考えれば、何でも聞き分けることができるのだ。・・・シャオシが、その南風から聞いた話を教えてくれたので、ぼくはすっかり書きとめておいたんだ。これからぼくがその南風の話をするから、聞いてみてくれよ。
イタチの筆のいわれ
狼毫笔的来历
イタチの筆のいわれ
(狼毫笔的来历)
この物語は見わたす限りの広い山が舞台だった。・・・
この山々は広々した平原や狭い平原を交互に取り囲んでいた。平原の土は肥沃で、空気は湿度が高く、いつの頃からか、ここに人間が集まって来て田畑を切り開き、耕しはじめた。
何十年かが過ぎ、また何百年かが過ぎるうちに、ここにはだんだんたくさんの人びとが集まって住むようになり、小さな村ができていた。
私は今、村のどの家が栄えて、どの家がおちぶれたとかを話すつもりもなく、・・・私がここで紹介したいのは、この山や村で起った動物たちの物語である。
この山あいの平原には、季節の移り変わりとともに、豊かに実った作物が育っていた。そこに、作物を食い荒らし、穀物を盗み食いする動物たちがたくさん引きつけられてやって来た。それらの動物の中で、一番数が多かったのはネズミの一族だった。・・・かれらは、小さな土の丘や、林の中や、石の山や、小川の辺りに穴を掘り、巣を作り、家を増やしていった。これらのネズミのうち、例えばクマネズミは思い切って村に引っ越し、人間の家に住んだ。
毎年春になって、作物が地面から青々とした芽を出したばかりのとき、ネズミたちは一斉にやって来て、柔らかい新芽を食い散らした。秋になって、伸びた作物の穂が金色に輝くとき、ネズミたちは一斉にやって来て、その穂を自分の洞穴のなかに持ち帰った。・・・
人々は作物を荒らし、食料を台無しにするネズミたちを憎み、ネズミ取りで捕まえようとした。おいしい食べ物は外にたくさんあるというのに、腐りかけの団子を食べにわざわざネズミ取りにかかるネズミがいるわけがない。ネズミ取りは幾年月を経て、鉄はさび、木はくさっても、ネズミ一匹すらかかったことがなかった。
ネコを飼おうと決め、人々はネコを何匹となく飼った。最初の三日間は、ネコは夜の見まわりをしネズミを追いかけたが、三日が過ぎると、昼は腹一杯で涼しいところでうたた寝をし、・・・面倒な役目を果たそうとする考えは全然なくしてしまっていたのだった。
人間自身がネズミを捕まえようとしても、人間にそんな機敏さなどありはしない。あっち、こっちとすばしこく逃げ回るネズミを、追いかけてもまったく間に合わない。・・・まして人間は昼に活動し、夜は寝るものだ。ネズミたちは人間が寝なければならない真夜中になって出没するのだから、人間はどうしようもないのだ。・・・
しかし、この日、山の林のネズミたちをおびやかす事件が起った。恐ろしいニュースがネズミたちの間をかけめぐり……ネズミたちの世界は大混乱となった。
それは、この山の林にはるばるある動物がやって来たというニュースだった。この動物は、背かっこうはネズミたちより、それほど大きくもなく、小さくもなく、しっぽが長く、四本足が短く、褐色の毛で、姿形はネズミとよく似ているが、それはネズミを食べる恐ろしい動物だということだった。
魔法の筆と
マーリャンの伝記
神笔马良传
魔法の筆とマーリャンの伝記
(神笔马良传)
むかしむかし、マーリャンという名前の子どもがいた。
マーリャンは村はずれのくずれかけたほらあなに住んでいた。お父さんとお母さんを早くになくし、自分で柴を刈ったり、草を刈ったりして暮らしをたてていた。「おてんとうさまの下では、貧しい人々はみな一つの家族」という考え方があって、村の人たちはいつも助け合って生活していた。仲間たちは誰もみなマーリャンを本当の兄弟のように思っていた。
マーリャンは小さいころから絵を描くのが好きで、地面に腹ばいになって、よく、石や、木ぎれで絵を描いた。また、泥んこの地面のときは、自由自在に一気に塗りたくった。たて線、横線、まる、四角など、何を描いたのか誰も分らなかった。
大きくなって、どうしても絵の勉強がしたかったが、筆を買うお金などあるはずがなかった。村は、どこの家も先祖代々百姓で、筆のある家は一軒もなかった。
マーリャンは筆があったら、それも自分の筆があったらどんなにいいだろうと思わない日はなかった。・・・
村には一つの伝説があった。それは、三百年たったある日、あるとき、空がパッと開き、塔を照らす光が、突然きらめき、塔の影がはるか遠くの高い山の峰の間まで伸び、一本の筆のように筆立て山に入るという。もしこのとき、この瞬間に、この黒い影の形をした筆を抱くことができたら、その人はすばらしい才能と学問を持つ人になれるというものだ。・・・
あるとき、マーリャンは町の城隍神社の役人が筆を持っていると聞き、一人でかけつけた。マーリャンはその役人の像の前まで来て、ふとみると、役人は左手には、帳簿を持ち、右手には、間違いなく、筆を高くかかげていた。
マーリャンはぼんやり見ていたが、つかつかと近づいて行き、こうたのんだ。
「役人のおじいさん、その筆をぼくに貸してくれませんか」
役人のおじいさんは黙ったまま顔色ひとつ変えなかった。マーリャンのことばが聞こえなかったようだった。すると、向こうからお年寄りが一人近づいてきて、白いひげを手でしごきながら、かわりにこう答えた。
「ばかだな。役人のおじいさんがおまえに筆を貸してくれるものか。役人が手に持っている人の生死を書いた帳簿を見ただろう。人が生まれたらすぐあれに書くんだよ。いつ死ぬかもな……」
マーリャンは子どもだったから、わけが分らず、こう聞いた。
「人はなぜみな死ぬの」
そのおじいさんは笑いながらこう答えた。
「人が死んだら、悪い人たちはもっと恐い人になり、いい人はもっとくらしが苦しくなるんだよ」
マーリャンは、やはりおじいさんの話がどういうことかよく分らず、目をぱちくりさせながら役人の持っている筆を見ていた。
通りがかりの老人が笑いながら、
「この子はたぶん役人の筆を借りて絵を勉強したいんじゃないか」と言った。
マーリャンは図星だったので、うれしくなってこう答えた。
「そうなんだ。ぼく筆がほしいんだ。筆で絵を習いたいんだ。おじいさん、ぼくにできるかな?」
老人はマーリャンの頭をなでながら、励ましてこう言った。
「できるとも。でもしっかり努力しなければいけないよ。―筆がほしいのになぜ役人のおじいさんにたのむんだ。あっちの文昌神社の魁星菩薩にお願いしに行かなければだめだよ」
マーリャンは役人の像のこわい色黒の顔を見ると、何も言えなくなり、老人にお礼を言うとすぐ前にある文昌神社へ魁星菩薩を探しに行った。・・・
マーリャンはびくびくしながら、歩いていって、額をコツンと地面につけて魁星菩薩に向かって言った。
「魁星菩薩さま、あなたの筆を貸してくれませんか」
魁星菩薩の顔は青黒く、左右の目を突きだしたまま、何も答えなかった。
マーリャンは三回続けて言ったが、魁星菩薩には何の反応もなかった。そこで、マーリャンは勇気一番、大きな魚の背中によじ登って、手を伸ばし、魁星菩薩が手に持っている大きな筆を取った。
その筆を取ると、マーリャンはうれしくなって、よくよく見てみると、なんとこの筆は泥で造られていた。
さわると、泥のかたまりが落ちて、中の竹の棒が現われた。泥の筆は何の役にも立たなかった。マーリャンはしかたなくこの筆をまた元通り魁星菩薩の手に押し込んだ。
このとき、また一人の老人が通りかかり、白いひげを手でしごきながら言った。
「筆がほしいと言えば、魁星菩薩はきっと筆をくれるはずだ。それなのに、なぜ黙って勝手に魁星菩薩の筆を取ったりしたんだ」
マーリャンは魁星菩薩の怒ったような表情を見ると、不安がこみ上げ、あわてて、おじぎをしてこう言った。
「魁星菩薩さま、ごめんなさい。ぼく、どうしても筆がほしかったんだ」
言い終わるが早いか、一目散に走って村に帰った。
マーリャンはなんとしても筆がほしかった。
ある日、マーリャンは突然、筆がなかったら自分でつくればいいんじゃないかと考えた。
マーリャンは竹やぶへ細い竹を何本か切りに行ったが、これは筆の軸にするものだった。しかし、筆の先の穂はどうしてつくればいいのか、マーリャンはまた途方にくれた・・・
人生の青い果実
人生的青果
人生の青い果実
(人生的青果)
ティエンリアン(田亮)は二階の小さな自分の部屋に閉じこもって、今、毎日会っている人に手紙を書いている。
「ロンロン(蓉蓉)…ぼくはきみにいっぱい話したいことがあるような気がするのに、どう話したらいいかわからない…」
ここまで書くと、ティエンリアンの顔はポッと赤くなり、首すじに汗がにじみ出した。かれは十四歳になるまでずっと女の子に手紙を書いたことは一度もなかった。この手紙がもし同級生のだれかに見られたら死ぬほど恥ずかしい。あるとき、ティエンリアンが教室で何気なしに「ロンロン」と名前を口にしたとき、鬼の首を取ったかのように、みんなはティエンリアンをひやかすように見ながら、それぞれ笑いはじめた。男子生徒たちは、「ハハハ」と大笑いし、女子生徒たちは、クスクス笑った。皮肉屋のチャオチー(趙琪)とチャンイーミン(張一民)が、先を争って、
「すげえ親しげな呼び方だったぞ」
「愛称で呼ぶなんてあやしい、あやしい」
とはやしたてた。
ティエンリアンは恥ずかしくて顔中まっ赤になり、机の下にかくれて、ずっと一言もしゃべらなかった。
呼ばれた相手のタンリーロン(唐麗蓉)は、急に立ち上がり、顔を紅潮させ、口びるをかみ、悪ふざけをした男子生徒をにらみつけ、大声で、
「あなたたち、静かにしなさいよ。ロンロンと呼ぶのがどうだっていうのよ。幼稚園のときから私たちロンロン、リアンリアンと呼び慣れてきたんだもの。何もびくびくすることなんかないわ。呼びたければ誰でも
私を『ロンロン』と言ってかまわないんだから!」
と言い返した。
どういうわけか、おせっかいな連中が先生に告げ口し、クラス担任のリー(李)先生までが、ティエンリアンを呼びつけて、自習時間に騒いだ一部始終を問いただした。ティエンリアンは顔を赤らめ、黙って聞いていた。李先生は、厳しい面持で、
「幼稚園や小学校とはちがうんだ。もう、中学生なのだから、男子生徒も女子生徒も礼儀をわきまえなければいけない、…きみはクラス委員長だし、タンリーロンは副委員長なのだから、もっと気をつけなさい。」
と注意した。
「ロンロン」
と、ため息をつきながら、ティエンリアンはさっきの手紙の続きを書いた。
「でも何に注意すればいいかわからないんだ。ぼくたちは幼稚園の時から兄妹のように仲良くしてきたが、誰もとやかく言ったことはない。こんな事を同級生のみんなが騒ぎたて、先生までが反対する。ぼくはどうしたらいいんだろう。」
その疑問にも一理あった。他の生徒に起っても全く問題にしないことが、ティエンリアンとタンリーロンのこととなると、みんなのえじきになってしまうのだ。・・・
今夜は月夜
今夜月儿明
今夜は月夜
(今夜月儿明)
日記という心の蔵は、誰も心易く開くことはできない。とりわけ少女の日記ならなおさらだ。しかし、大学の入学許可証を受け取った今日のこの日、私は急にある衝動と激しい感情と望みにかられ、この不思議な蔵を開いて、自分で見たいと思い、そして、他の人にも見てもらいたいと思った。特に、中学のクラスメートたちや、先生たちにも見せたいと思ったのだ。
私は、引き出しを開け、すでに色あせてしまった日記を取り出そうとしたが、その何篇かの日記はすぐに見つかった。中に挿まれた連翹の花びらが、今でも微かな香りを放っているように思われた。それは、数年前にここに挿んだものだった。
そのころは、ちょうど、世間でよく危険な年齢といわれる時期だった。一人の少年が突然私の心の扉をたたいて進入してきて、私の心の中にわけの分からない感情が芽生え、複雑で微妙な心理状態におちいり、ばかな事をたくさんしでかした。そのことが日記に逐一ありのままにまた詳しく書かれていた。いま、ふりかえって考えてみても、ひとりでに、おかしさがこみ上げてくる。でも、そのときは、それらのすべてがあのように神秘的で、厳粛で、まじめなものだった。もしかしたら、それらのすべてが毎日どこかの中学で繰り返されているかもしれない。私が、自らの少女時代の日記を公開することに、こんなに心せかされるのは、あるいはこのためかもしれない。
日記の中に出てくる少年も、いまは大学生だ。かれも、日記を公開することを許してくれると思う。私はそれを確信している。
夜のとばりが降りて、部屋の中はようやく暗くなってきた。秋風がしきりに窓から私の顔を打つ。なんと爽やかで清々しい秋風なんだろう。私は電灯をつけ、一冊目の日記のページをくった。
そのとき、私は十五歳で中学二年生だった。
三月五日
不思議だ。こんな事が私にふりかかってくるなんて、思っただけでも恥ずかしい。・・・
熊母子
『月の輪グマ』
椋鳩十作
熊母子
远山川是蜿蜒在赤石山脉(位于长野县、山梨县和静冈县的界线上)山麓的一条溪流。
这是距今二十年以前,我还住在长野县的时候遇见的事。荒木,原来是个拉车的,我跟他一起去远山川钓嘉鱼。路上,在满岛住了一宿。
在这家旅店,象用锁链拴着狗那样,饲养着一只小熊。
我们刚刚来到时,那只小熊被拴在院子里的柿子树上,好象婴儿似地伸开两只腿坐在地上,还拿着一片短短的碎木头,噼啪噼啪地敲着地,玩得正欢实。看它那天真的样子和动作,与其称它是一只野兽,不如说是一个淘气的孩子。
它的样子太可爱了,我一动不动地站在那儿看着它。荒木在后面说:
“老爷,我们也许在远山川的溪谷里会碰见这样的动物哩……〟
独耳朵大鹿
『片耳の大鹿』
椋鳩十作
独耳朵大鹿
屋久岛是一个属于鹿儿岛县的太平洋上的孤岛。它的面只有五百平方公里。岛上三十几座一千多公尺的高山连绵耸峙,到处是人迹未踏的山涧。在半山腰中,树龄两千多年的屋久杉阴影满地,繁茂得白天也这样黑暗。
在那些大杉树中间,一只葡萄色眼睛的鹿儿,正静悄悄地走来走去。
家住在屋久岛的吉助叔叔,是个猎鹿的能手,在鹿儿岛远近闻名。那位吉助叔叔给我来信说,要我今年一定来屋久岛一起去打猎。我答应他的邀请,去年十二月中旬就出发来这儿了。
叔叔带着两条身强力壮的日本狗,肩上扛着一支旧式的双筒猎枪,一步一步地在这杉树林中慢慢腾腾地走着。
冬天的山中,寂静得简直象坟地一样,令人觉得有点儿可怕。
“叔叔,我们只是这样走来走去,能不能碰到鹿呢?”
“嗯,猎鹿也是跟钓鱼一样呀!猎人当然会熟悉鹿常去的地方哟”
“可是我们已经走了半天了,连一只鹿的叫声也都没听见哩”
“就是一个常住在同一个地方的人,当你去找他的时候,也会有他不在家的事吧?!
猎鹿这件事,你就放心
跟我走吧。哈哈哈”
伸舌头的〈长玛〉
『ベロ出しチョンマ』
斎藤隆介作
伸舌头的〈长玛〉
日本千叶县的花和村有一种叫做《伸舌头的〈长玛〉》的玩具。(长玛)是当地的方言,意思就是〈长松〉,是一种滑稽可笑的木偶的名字。
这种木偶张开两臂站着的样子,简直象“十”字的形状。当你一拉它的背上的圈儿,它就立刻会把眉毛向下倾斜,变成为“八”字形,而且伸一伸舌头。谁看到那种动作,谁都会不由得扑哧一声笑出来。
サンタクロースに
まちがえられた捕虜
(未発表)
サンタクロースに間違えられた捕虜
みさこのお父さんは、みさこが五才のとき、ソ連のシベリアから帰ってきた。お母さんに手を引かれ、舞鶴の港で初めてお父さんに会ったとき、みさこは「ワーン」と泣き出してしまった。お父さんは、みさこの目には、知らないおじさんに見えたのだ。お父さんはとてもショックだっただろう。
なぜって、お父さんは戦争に連れて行かれて、敵のロシア兵につかまって、シベリヤの捕虜収容所に入れられた。お父さんは、みさこが生まれたことを、みさこのお母さんの手紙で知り、みさこに会うまでは絶対死ねない、生きて日本に帰ってみさこに会うのだと、つらい捕虜生活に耐え、自分を毎日ふるい立たせていたのだから。
そのあと、みさこはお父さんとの生活にも少しずつ、なれていったが、やはり、五年という月日の空白は、なかなか埋まらなかった。でも、お父さんがいつも話してくれたシベリヤのきびしい捕虜生活が心に刻まれ、みさこのお父さんに対する気持ちが、少しずつ、ほぐれていった。
お父さんの話のなかで、みさこの頭に焼きついて離れないことがいくつかあった。
ひとつは、シベリヤの地平線に沈む夕日がとてつもなく大きいということだった。お父さんはその夕日に向かって、日本に帰ってみさこに会わせてくれるよう、来る日も来る日も、祈っていたこと。そして、とうとう、願いがかなって、日本に帰る日を迎えることができたことだった。